リポ)Iagoくんと俺様キャラについて
英米文学概説の教科書で、シェイクスピア劇の登場人物Iagoについて書いてあった。
Iagoくんは、悪役だ。
このIagoくんについて教科書では、morality play(寓意劇)のEnvy(嫉妬)みたいなもん、として取り上げている。
この寓意劇、登場人物の性格はあらかじめ決まった上で、ストーリーが進行するらしい。
Iagoくんも、お決まりの性格(嫉妬という悪心をもつ人間)なんだから、主人に悪いことするやつだってわかるでしょ、っていうのが作り手側の意見ってことなのかな。
Iagoくん演じる役者も、悪者顔を選ぶとかしてたんかな。
とりあえず、今回興味がわいたのが、
寓意劇はあらかじめキャラが決まってるってこと。
それで思い出したのが、落語だ。
「昭和落語心中」を読んだとき、落語についてちょっと調べたのだが、熊さん八っつぁんという定番の登場人物は、性格が決まっているそうだ。
英国の寓意劇も、日本の古典落語も、
登場人物の名前を聞いただけで、観客がその人物の性格をすぐ理解する、という状態だったわけだ。
そうなった理由は、寓意劇と落語で違うかもしれないが、メリットは意外と多そう。
小説なんかでは、登場人物の性格を少しずつ理解していくというのは、おもしろみの一つではあるけど、劇ではそうはいかないってことなんだろう。教科書によると。
ところで漫画だとどうなのか。
連載漫画だと、登場人物のキャラは見た目や台詞ですぐに読者に伝えちゃって、
性格を掘り下げることより先に、メインストーリーをぐいぐい進めた方が、読者に喜ばれそうな気がする。個人的意見だけど。
週刊ジャンプでは次から次に新連載漫画が始まるけど、最初の数話で主要人物を出して、ある程度性格を提示して、さぁメインストーリー進めまっせ、という流れが定番な気がする。
別冊マーガレットやクッキーで連載する少女漫画でも、心情描写は少年漫画より多いように感じるけど、やはりある程度は主要人物がどの「お決まりキャラ」であるのか、分類しようとしているように感じる。
「俺様キャラ」や「草食系」といった、キャラを固定するような言葉が扉絵のあおりに書いてあるしなー。
話が進んでいくと、人物の性格や思いが掘り下げられていって、表面的なキャラが崩れていくと、おもしろいんだけど。
そんで連載が進むにつれ、
「〇〇はただの俺様キャラじゃないよ!」と、あおり文に文句つけるようになると、その漫画が好きになっちゃってるってことかな。
Iagoくんの話から、漫画のキャラづけに発展するとは思わなんだ。
今日はリポート一切しとりませんㄟ( ・ө・ )ㄏ
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